対談シリーズ「無神論の教育が作り上げたもの」〜成績デコボコトリオは考える〜その2

私たちは偏差値教育以外の教育を知りませんが……偏差値教育の起源はどこにあるのですか?

戦後です。

でも、戦時中に偏差値が高い人は軍隊で戦略の立案だけをしていた(偏差値が低い人と高い人で職位や仕事の内容が分けられていた)という話を聞いたことがあるような……今の官僚制度のようなものは昔からあったのではないですか?

あぁ、陸軍のエリート教育の話かな。そりゃ辻政信みたいなのができますわ。

あの時代の軍は、幼年学校や士官学校なんかで全く別な教育ルートだったから、今の偏差値教育とはまた話が違うと思います。この国の最大の間違いは、明治時代に軍とその教育を無料にしたこと。反対にすればよかったの。

有料にすればよかったということですか?

そう。お金を払ってでも軍に入りたい、お金を払ってでも将校になりたい。お金を払ってでも先生になりたい。帝国大学を無償、士官学校を有料にしていたら戦争なんかしていないよ。金持ちの子しか軍人にならなかったら戦争をすると思う?

いや、しないですね。

お金持ちの子が将校だったら二・二六事件なんて起こりようがないの。

言い方が悪いかもしれないですけれど、お金が無いと、「生活のために」という原動力で動いてしまう可能性があるということですか?

あの時代、お勉強ができて向学心がある子が行くところというのは、軍か教育しか無かった訳でしょ。その分野は満ち足りた子供たちがやるべきなの。

軍も教育もどちらも?

うん、余裕がある人でないと担うべきではない分野だよね。

自分や家族の生活のために人を貶めてでも出世をしようとか、成果の残そうとか、そういう所からある程度解放された余裕がある人が担うべきですね。

余裕のある人が志を持って、子供たちのためにとか国のためにとか。もっと総合的な大きな視野を持てる人達を集めるべきだったの。貧しい人たちは帝国大学で研鑽してもらって社会に貢献してもらうようにしておけばこの国はこんな風になっていないと思います。

なるほど……学力だけで人材を採用すると、志や大局を見失って、国力を落とすことになってしまうんですね。今もそうなのかぁ…。

そうすると、今の偏差値教育の問題点って何なのでしょうね。

今の偏差値教育の問題点は簡単で、人間を統計学的な数値で張り付けているだけでしょ。記憶力のいいのが一番上に行くってさ、それこそ陸軍大学校の席次で、成績が上の人は大本営に入れますというのをやったから戦争に負けたのでしょ。

偏差値というのは「才能を見抜けない」という決定的な欠陥があります。才能を見抜くのは人なの、才能を見抜けるような人を育てるノウハウがこの国には無いの。江戸時代にはそのノウハウがあったのだけれどね。

えっ!? 江戸時代にはあったんですか!?

薩摩藩とか長州や会津の教育方式は集団教育だったのだけれど、そこで子供たちを放っておいたらね、自動的にリーダが生まれるんだよ。誰がこの世代のリーダで、この人のいうことだったら、みんな言うこと聞くよねという人が自動的に生まれるの。それが大人になっても全体を統括する時に役に立つの。

今の話を聞いていて思い出したのですが、京都大学を主席で卒業したけれど、全く仕事ができない人を知っています。勉強は得意だったけれど、人の上に立ってマネージメントする能力は皆無なのだと思います。

うーん、とすると、個人の資質に沿った人材登用がされる社会が、未来のためには大事なことなのでしょうか?

さっきの魂があるという話でね、魂が授けられているという前提に立つのならば、この国はそれだけの才能が授けられているはずだからね。

でも、実際には、偏差値が低かったら、勉強が出来なかったら、社会の中でもチャンスが少ないですよね。使い物にならないと思われて就職も大変だし……

会社に就職するのがそもそも間違いだと私は思うのだけれどね。

(なぜだろう、とても耳が痛い。。)

偏差値教育は、評価する方は楽だよね。定量的な数字があるのだから。

そう、管理する側は楽だよ。

偏差値では才能を見抜けないというのはよくわかります。私の上司は、学歴は無いのですけれど出世した人で。凄く頭が良くて、部下全員から信頼されていて、あの人がリーダだよねとみんなが思っている人です。その人を採用して上にあげた会社も凄いなと思いますけれど、偏差値では評価されなかった人だと思います。

偏差値教育は事実な所と、偏差値教育だという刷り込みのもとに今を見ている可能性もあると思うな。社内の中で人の能力をはかるには相関で見るしかないよね、基本的には平均値での勝負だから。人を本当に評価できる人が、人の必要な能力を評価したり、採用すればいいのかも知れないけれど。それが難しかったりすると、何となく、「この指標が高い人はこういうことに向いていたな」という傾向を基にしているのだと思うな。もっと簡単に言うと、細かい評価をさぼっているんだと思う。

会社によっても傾向はあるよね。当然偏差値とは別の能力を採用指標にしている会社もあるし。

会社名を出していいのか分からないけれど、ほとんど東大卒しか採用しない会社はあるよね。でもそんなことやったら会社が潰れるに決まっているよね。

余計な茶々を入れるとね、20世紀型の産業、要するに工場労働者を作るためだったら偏差値教育でもいいのよ。

1つの指標を作ってその指標が高い人を選ぶという偏差値教育でもよかった?

うん、だって作業をしてくれればいいだけだから。その能力は偏差値で分けられるよね。けれども、20世紀までの工場労働の社会が終わったら、そこから先は? 一人一人の人間がどうやってご飯を食べていくの?

言ってみれば、教育っていうものが何のために必要なのかという出発点が間違っているのだと思うよ。今の教育ではご飯を食べられないのよ。典型的なのが今年の中国で、900万人が大学を卒業したけれどそのうち90%は就職できませんでしたって。

90%!? 恐ろしい……

同じようなことがこれから世界的に続くと思うよ。米国だってそうだけれど、ハーバード大学を出るのに、卒業した時には4,000万円か5,000万円の借金を背負っているわけよね。それを回収しようと思ったらニューヨークのヘッジファンドか何かのマネージャーで年間何十万ドルの収入を得ないといけなくて、国際的な詐欺をしなくちゃいけないの。良心のある人間は、あれはできないの。教育って何なのか?をもう一度考え直さないといけない時だと思うよ。

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