「難しい? 精神学と最終知識」その7〜「その日」がいつかは、あなたが決める〜

「難しい? 精神学と最終知識」
「最終知識」精神学を学ぶ人の道案内

審判という言葉を前にして、人間精神は、その精製の過程が聖なるものであったかどうかを、決定的に問われる。つきつめたいい方をすると、審判を希求する立場に立つか、回避する立場に立つかを自らが決めねばならない。
精神の免疫力というのは、この審判に対して、どう思考したかのプロセスによって、強弱が決まるのだ。

積哲夫(2006) 「最終知識」 SEKI Publishing 5章「精神の免疫」9節

最後の審判というワードは、キリスト教では有名な概念です。
精神学における最後の審判とは、たしかにキリスト教において、やがてやってくると予告されていたものではありますが、一般の人が思う、黙示録のような内容とはかけ離れています。

精神の免疫と精神性において、最後の審判とは、今の地球上の魂にとっての最高到達点とも言えるものだから、です。

火の雨は降ってきませんし、世界は滅びません。
世界中の人々に、同時に起こるものでもありません。
イエスも降臨しません。

それは、物質世界で起きるものではないのです。
人一人ひとりの精神世界で、魂が宿している神性が成長し進化していった先に、神性の結果の判定として、最後に待っているものだからこそ、最後の審判と呼ばれています。

最後の審判は、いつ起きるのか?の答えがそこにあります。
あなたが、審判を求める、と覚悟を決めて、究極の浄化と上昇に挑んだ日、あなた一人の精神と体という場で、最後の審判は起こります。
審判の執行者として、あなたの人生の場に、聖書でいうところのキリストの立場で降り立つものは、あなたである。そんな極めてシンプルで重要な事実がそこにはあります。

精神と体の場において、光に属するものと闇に属するものは、聖書の通りに右と左に分けられて、闇のものは、やがて光に敗れ去るプロセスをたどります。
実は、魂や、精神は、生まれた時から、光のものと闇のものが混ざった状態です。さらに言えば、魂は、もともと、天と地の神様からひとつずついただいた分け御魂(わけみたま)の合体物です。神様という精神的な意識体もまた、光に属する側面と闇に属する側面を持ち合わせた、意思をもった巨大なエネルギーの合体物なのです。
精神の免疫について、今まで折に触れて紹介してきた、浄化と上昇のメソッドとは、自分の精神を、光のものと闇のものとに分ける作業でもあります。この過程そのものも、ある意味、最後の審判の前準備ともいえる作業なのです。

そして、審判の存在を知ったその時、あなたは自分に問いかけることでしょう。
「私は、審判で残されるにふさわしいものだっただろうか?」と。

その思考過程で、やがて気がつくかもしれません。
「私には、こんな邪悪な側面がある」
「一方で、それを制する『私』もいる」
「『私』が、私の中に、二人いる」

光のものと、闇のものと、自分は、二人いるのではないか…? と。

こんな漫画的表現があります。
天使の姿をした自分と、悪魔の姿をした自分が、左右からささやきかけてきて、人が葛藤している。

まさに、そんなイメージなのです。

“ここで正常な人間なら、過去の歴史や自らの内面に、光をあてる。すくなくとも、審判される側にまわる思考訓練がはじまる。やがて、自らのうちで審判者と被審判者の役割を担う、ふたつの立場が生まれる。まったく抽象的な思考訓練である。しかし、審判者の目をくぐり抜けて、なんとか生きのびようとするものの言い訳は、はっきりしてくる。いつものように、私は悪くない、である。その言葉の発するところこそ、魔界のネットワークなのだ。”

“それは、フェニックス、不死鳥のイメージに近い。成長したものは、次の層にいたるために、あるいは物語を収穫するために、あるいは、存在したことによって生じたケガレを除去するために、自らを焼きつくす。”

“すべての人間は、その存在のうちに原初の神のかけらを宿している。そのかけらが、光を持つ。その光を闇がとざし、エネルギー源として利用している。目覚めていないがゆえに、魔界に力を供給し続けるのだ。しかし、目覚めれば、その罪もまた自ら認識し、担わなければならない。”

積哲夫(2006) 「最終知識」 SEKI Publishing 5章「精神の免疫」9節

なぜ、世界に魔のエネルギーが満ちているのか。

あなたの中にいる、邪悪なあなたの一部もまた、そのエネルギーを作り、世界に送り出している。

このエネルギーが、誰かを苦しめ、不幸にして、闇のものが生き延びるための糧を搾取するために使われているとしたら?

自分の内側で悪さをして、それを生み出すものに自分の精神と体が加担させられているのだとしたら?

私たち一人ひとりは、果たしてそれを許していていいのでしょうか? 知らなかったから、分からないから、自分に責任はないと思いますか?

答えは、明らかだと思いませんか?

次の記事 ⇒ 「シンロジカル・サイエンスの可能性の考察」その1~科学は神を再発見できるか?~

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