「難しい? 精神学と最終知識」その2〜宗教っぽいと思う? それ、完全に間違ってます〜

「難しい? 精神学と最終知識」
「最終知識」精神学を学ぶ人の道案内

 先週のブログで、精神界の法則のひとつとして、知るべきものは、知るように配される、と書きました。

 求めるものには精神界の正しい知識が開示されるようにするためには、それらを伝える案内所となる場所、拠点が物質界であるこの世側に必要です。
 そのため、精神界の存在が、案内所として精神学協会という場所を用意することを企図しました。この目的のもと、一部の人間に指示が降り、精神学協会はただ一つこの世に用意された、正しい精神界の知識の案内所、窓口となりました。これが精神学協会の出発点であり、存在意義でもあります。

 こう聞いて、精神学を宗教のように思われる方もいらっしゃるようなので、実際に精神学を学んでいる私の見解をお伝えしておきます。

 まず、そもそも精神学という学問・知識体系を伝えているだけの協会ですので、無理に協会には入る必要はありません。勧誘もしておりません。入らなくても何もありませんし、バチもあたりません。(たぶん)

 知っておくだけでも人生の見方が変わるだろうし、毎日の生活で、体の調子がちょっとラクになることもあるかもしれない。精神学はそんなカジュアルな感覚で学んでいい、と私は思っています。
 ご興味のある方は、公式サイトの説明ページを「ふーん」と眺めていただくだけでもいいと思います。(もちろんディープに学びたかったら、最終知識を読んでみたり、会員の方が主催するサロンなんかにいらっしゃったり、セミナーとか聞きに来たりされても構いません。)

 そういう意図も込めて、「精神学とは」とこのブログのトップページで紹介している文について、私は以下の通り書きました。

2000年代より精神世界に関する知のフロンティアとして新しく成立した学問。

元来、宗教が規定してきた神・霊的世界と人間の精神世界・実在世界の関係性を新しく整理した上で、現実として存在する精神的エネルギーや神・霊・魔の影響を踏まえ、人間社会を捉えなおす。

 上記にある通り、昔から、宗教は神様について伝えてきました。神様の教えだとして、人の生き方として教義を守るよう、人々を指導してきた歴史があります。

 一方で、新興宗教として、有名どころでは地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教のようなものが出てきた関係で、宗教の概念は平成の日本においてある種のトラウマとなりました。また、科学を根拠とした無神論により、神などいない、信じている方が狂信者として危険だ、とみなされる傾向にあるのも、一部はこの事件の記憶が手伝っているものと推察しています。(実際にはいるんですけどね、神とか霊とか魔とか…感知しにくいだけで)

 これらの事情もあって、神様というもの、オカルト、スピリチュアルの世界は、はまるととても怖いもの、禁忌、のように思われています。そのため、神様のことを話し出すと、宗教だ、とか、オカルトだ、と拒絶反応が起こることがあります。

 ただ、この、オカルト・スピリチュアルの世界が持つ、はまると怖い、つまり人生が崩壊しかねないという性質について、どうしてそんな危険性が発生するのか、精神学ではきちんと理由を説明することができます。関わると危険なものの見分け方・避け方も分かります。最終知識にも書いてあります。難しいけど。(その詳しい理由の解説については、また別途記事で書きますね)

 また、神様や精神存在と、宗教は、イコールではありません。

 例えがアレですが、「車」と「ディーラー」みたいな関係です。
 「車」は何も悪くないのに、「ディーラー」が適当なことを言っているせいで、車の信頼性を損ねているのです。風評被害ともいいます。(中には本当に「車」が粗悪品で、「ディーラー」も最悪、といった事例もあるのですが、そこは見る側がきちんと見極める目を持っているかどうかの問題になります)

 精神的な存在というのは、人間と同じようなもので、おかしな「人」もいれば、ちゃんとした地位と格式をもった「人」もいて、その中には神と呼ばれる働きをしている「人」もいる。

 それが正しい精神的な存在に対する認識の仕方なのです。

次の記事 → 「難しい? 精神学と最終知識」その3〜絶対損なし! 精神エネルギーを学んでおくべき理由〜

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