AKIRAの雑感~オリンピックとかCOVID-19とかいろいろ~その4

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「最終知識」精神学を学ぶ人の道案内

この世界にはあらゆる情報が溢れています。
歴史の中に隠れていた、闇の中の真実さえ、今の時代になってから暴かれたものも少なくはないでしょう。

ただ、本当のことを知ろうとする時、私たちの前には信じがたい情報がたくさん流れてきます。

マネーの暴力によって、ありとあらゆる良心が歪んだ世界が見えてきます。

お金がなければ生きていけない。
お金さえあればなんでもできる。
お金のためなら何をしてもいい。

なぜ、そんなことになってしまうのでしょうか。
マネーの欲望、その先にあるものを見つめたときに、「支配する力さえあれば、この世そのものさえ手にできる」そんな思いさえ見えてきます。

今の世界の仕組みをよく観察してみると、私たちの生活を一番左右する力を持っているのは、実は政府ではないように思えます。
政府は毎年国債を発行して、日本円を発行している日本銀行からお金を借り入れて、国を運営する予算にあてています。

政府でさえマネーがなければ何もできないのに、そのマネーを作る権利は銀行が握っています。形式的には政府が50%以上の株を持っている=経営を左右できる力を持っている、政府の子会社の特殊法人ということですが、それでも公の機関ではありません。


なぜ、仮にも国として独立しているはずなのに、わざわざ銀行から借り入れするなんて形を取っているのでしょうか。


実質、必要分だけ通貨を新しく発行しているようなもののように見えるのは、気のせいでしょうか。
国民から借りているといいつつ、実質、民間に流れているお金+国債発行分のお金、つまり900兆円分が、この国では毎年回っていると考えた方が、まだ素直な見方の気がするのですが…。

また、その日本政府や省庁ですが、失礼ながら、多くの人がこの国のためというよりは、お隣の国の中国によるハニートラップと賄賂漬けにされて、中国にお金が流れる政策を打とうとしたり、外国人が日本人よりも優遇されるようにしたり、日本国内の政治に口を出せるようにしようとしたり、アメリカからの圧力や要請に対応したりと、自身の保身と権勢の強化のために働いているようにしか見えないのが現実です。

どの国の政府も、多かれ少なかれ、経済と国益の必要性から動いています。世界をマネーの流れで見た時、中国とアメリカのマネーの力が、強く日本に働きかけていると考えた方が自然でしょう。

ではその中国とアメリカはといえば、今のところの情勢としては、アメリカのドルが覇権を握り、中国がそれに挑戦しようとしているのが現状です。

どちらが世界を握るのか、の争いになっているのですが、国と国との争いとして捉えるよりは、ここでもマネーの流れを見た方が本質に近づくことができます。

アメリカドルが世界の基軸通貨として扱われてきたのは、世界のほぼすべてのエネルギー源となっていた石油の決済にドルが使われてきたからでした。
ただし、アメリカドルもまた、FRBと呼ばれる機関によって、ドルの発行が為されています。この機関は歴史的には厳密にはアメリカ政府のものではなく、ある年末年始の間に、ごく一部の資本家によって掌握されてしまったと言われています。

こうしてひとつひとつ、大雑把ながら思考のブロックを積み重ねていると、実は世界のほとんどの権利は、マネーの発行権を握った少数の人々が握っているのと同じだといえるのではないか、という考えに至るはずです。

ただし、彼らは自分たちを非難の的にしないために、マスメディアにお金を支払っています。
マスメディアでは、定期的にこれを陰謀論だ、とレッテルを貼り、訴えを起こす人々を社会的異端者に位置付けて排除してきました。

考えてみれば誰でもなんとなく分かることなのですが、それを考えさせぬように、ローマ帝国時代と同じ方法を使いました。

娯楽を与え満足させることで、全ての人の不満を本質から逸らしたのです。一般には、これは3Sと呼ばれます。スポーツ、スクリーン、そしてセックスです。オリンピックは、スポーツ観戦ですね。スクリーンは映画。セックスはそのまま、人の三大欲求(食欲、睡眠欲、性欲)の通り。

さて、この資本家の人々のルーツを見ると、歴史的には西洋では、キリスト教、イスラーム教が金利を禁じたため、最も神から遠い職業として銀行業をユダヤ教徒が担いました。つまり、ユダヤ人が一番資本家、銀行家の主要な人々ということです。

精神学的にこの状況を見た時、問題は、彼らがマネーを握ろうとした根拠と動機が、古くはユダヤの旧約聖書に端を発しているところにあります。

旧約聖書では、ユダヤ人、つまり神が認めて選んだ人々以外の人類は、ゴイムと呼ばれ、神の民ではないので、同じ人間とはみなされていないようです。

彼らの行動原理は基本的に、表立って言わなくとも、自分たち以外の全ての人類は奴隷としてみなし、増え過ぎれば殺せばよいというスタンスだと考えてよいでしょう。

そんなことを人間がするのか、と、心優しい方は思われるかもしれませんが、第二次世界大戦の時、国際条約は非戦闘民への攻撃を禁止していたにも関わらず、アメリカは東京と大阪を焼夷弾で焼き尽くし、広島と長崎に人体実験として核の炎を投じました。
その罪が世界で問われたことは、今まで一度もありません。(そのため、受けた屈辱に対しては復讐が基本の世界で生きている彼らにとっては、日本はどうあっても押さえつけておかねばならない、自分たちの巨大な十字架となっています)

私たちがアメリカのコーカソイドと本当に心理的に同じ立場に立っていたら、そんなことは起こらなかったのかもしれませんが、彼らにしてみれば、私たちはそうしても構わない人種、民族であったということです。

ひとりひとりはよくとも、日本列島以外の世界の人々は、権力を握り求める立場になればなるほど、基本的に、欲望の前には良心などないに等しい傾向にある、と知っておく方が良いと思います。



続く

次回は9月3日更新予定。お楽しみに!

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