「シンロジカル・サイエンスの可能性の考察」その3~神々は日本の歴史空間を何に対応させたか~

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「最終知識」精神学を学ぶ人の道案内

まだまだ歴史の面倒くさい話が続きます。ごめんなさいっ!

さて、ユダヤ人とその神イェホワ(ヤハウェ)の行方を追うと、前週はイェホワは日本で八幡神となってはたらいていたのだろう、という話にたどり着きました。

ここからは、八幡神と日本との関わりを見ていくことにしましょう。

八幡神が最初に顕現したのは九州、宇佐の地でした。
八幡総本宮・宇佐神宮のサイトに、その由来について書かれているのを見つけることができます。

“御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。

725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。
これが宇佐神宮の創建です。”

“八幡大神の御神徳は強く顕現し、三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力や、勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)公に国のあり方を正してゆく神教を賜ったことで特に有名です。皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、勅祭社16社に列されています。また、一般の人々にも鎮守の神として広く親しまれてきました。”

八幡総本宮宇佐神宮,「宇佐神宮について」, 2021/6/4 参照

八幡神に関連して、応神天皇というワードが出てきました。
再びWikipediaの記載を見てみると、八幡神/応神天皇、別名・誉田別命(ほんだわけのみこと)は、実在したかは定かではないが、在位していたとすれば4世紀後半ごろの人物だろうと見られている、と書いてあります。
また、平安時代以降は、八幡神は桓武平氏、清和源氏等武家勢力の崇拝を受け、その後の鎌倉幕府でも源氏や御家人に広く信仰されるなどし、国内に置ける武家の守護神としての地位を確立していきます。

簡単に時系列を整理すると、以下のようになります。

年代できごと
不明(4世紀後半)応神天皇在位
571年(6世紀後半)八幡神(応神天皇)、九州・宇佐の地に顕現
平安時代以降武家勢力の守護神として広く信仰を集める
歴史年表その1:八幡神と応神天皇のざっくりとした年表

ここで、平安時代以前の情報の出どころに注意しておく必要があります。

そもそも、八幡神の出現に関する根拠としているのは、鎌倉時代後期に纏められた『八幡宇佐宮御託宣集』になっています。
また、八幡神と同一とされる応神天皇の存在が初めて文字情報として記録されたのは、古事記、日本書紀の成立頃、と考えねばなりません。日本最古の歴史書は古事記、日本書紀ですから。
さらに、八幡神を氏神とした秦氏(ユダヤ人の失われた10氏族の末裔と考えられる一族)の動きも少し付け加えてみます。

再び年表を整理しましょう。

年代歴史的できごと八幡神・応神天皇の動き秦氏一族の動き
年代不明(4世紀後半)第15代天皇・応神天皇が在位(古事記・日本書紀の記載が根拠)この頃、秦氏一族の数3万人から4万人規模が当国に帰化したとされ、天皇家に協力し、朝廷設立に関わる。
571年(6世紀後半)八幡神(応神天皇)、宇佐の地に顕現(鎌倉時代後期の『八幡宇佐宮御託宣集』が根拠)
712年(8世紀前半)古事記が編纂される
720年(8世紀前半)日本書紀が編纂される
769年宇佐八幡宮神託事件が起きる八幡神、和気清麻呂に神託を発する
794年平安京に遷都秦氏が都市の建設に関わる
平安時代(8世紀後半)以降武家が勢力を増し、武家が700年間政権を握る時代が続く八幡神(応神天皇)、武家勢力の守護神として広く信仰を集める
歴史年表その2:八幡神と応神天皇と秦氏に関する、ざっくりとした年表

こうして見ると、712年頃を境に、後から史実として編纂され文字として記録された情報空間と、リアルタイムで記録された情報空間と、2つの歴史的時空間が成立していることが分かります。

ここで、精神学(SHINLOGY)は、日本史の形成には精神界、日本の神々が関わってきた、と主張する立場をとるものであると思いだしてみてください。
日本最古の歴史を規定しているのは、間違いなく古事記、日本書紀です。
これらの作成にも、間違いなく、精神界は関わってきたと考えてよいはずです。

とすれば、日本の朝廷と精神界は、700年代前半の当時のさまざまな状況を踏まえて、古代日本史という、精神的な歴史時空間を1300年前に設計・構築した、と、精神学的(SHINLOGIC)には見ることができます。もちろん、その中には八幡神も存在していただろうということは、想像に難くありません。(日本史は聖書の神とリンクした流れを持っている、と先週のブログで解説したことを思い出してくださいね。)

では、精神界は日本の歴史時空間を作り上げる際に、その起点をどこに設定したのでしょうか?

日本史というものは翻って、皇室という一つの王朝の歴史に端を発するとすれば、皇紀で考えるのがよさそうですね。

皇紀、つまり神武天皇即位紀元で考えれば、それは紀元前660年。今から2681年前です。

ここで一つ疑問が生まれます。
日本史を聖書の世界とリンクさせるだけならば、2000年前頃を皇紀の紀元とすればよかったはずです。どうして朝廷と精神界は、2600年以上前に皇紀の紀元を設定したのでしょうか?

実は、ネストリウス派キリスト教として当時日本に伝わっていた景教と仏教の歴史を鑑みた結果、釈迦:ガウタマ・シッダールタが生まれたと思われる紀元前6世紀※よりも前に、皇室の紀元は設定されたようです。(※紀元前624年 – 紀元前544年とされ、南伝仏教による説です)

精神界からすれば、「新約聖書と仏教の時空間を内包した、神の御国(ミクニ)と弥勒(ミロク)の約束の国という時空間を、日本列島に設定しました」ということに、なるようです。

つまり…聖書の神たるイェホワ(ヤハウェ)は、八幡神として日本にやってきて、その後、日本の神々と共に、聖書と仏教が伝える「約束の国」がやがて顕現する地点を、この日本列島に定めた、ということのようなのです。

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